私は、幼い頃からおばあちゃんっ子である。
お母さんと喧嘩した時も
不登校になった時も
おばあちゃんが電話でなんでも話を聞いてくれた。

つい先日も、突然電話がかかってきた。

『声が聞きたくなってね』

なんて。
今のわたしにはない感覚だ。

私は常々、冷めた人間であると思う。
人への愛情の注ぎ方がわからないのだ。

それでも、誰かの誕生日や特別な日には
ドライフラワーを贈るのが好きだ。

お気に入りのお花屋さんがある。
店員さんに、贈りたい人のイメージを告げて
それに沿って色や花言葉を考えて花束を造ってくれる。

高校の時、半年間付き合った恋人が居た。
当時、今よりも10kg近く太っていたのに
結婚を前提に付き合って欲しい
なんて言われた。

馬鹿らしい、そんなの。
嘘に決まってるでしょう。
天邪鬼なわたしはそんなことを思っていた。

自分の顔が憎く、嫌いで
365日顔にマスクをつけているような
可愛げなんて1mmもない女だった。
いわゆる、JKというブランドを
満喫できなかった可哀想な人間だった。

その恋人とは毎日メールして
好きだよ、と文面だけの上辺だけの関係。

下の名前でちゃんと呼ばれたことは
一度もない。
手も繋いだことない。
一緒に横を歩いたことも、ないかもしれない。

半年経ってわたしは
ごめん。友達の方がいい
と告げて別れた。

今となっては、不器用なわたしが全部悪かったなあと
悲しませてごめん。どうか何処かの誰かと
貴方は幸せになってと

一週間後、元彼は
同じ部活の別の可愛らしい女の子と付き合ってて
思わず笑ってしまった。
男って、そんなもんよなあ。と。

今や後悔はしてないけれど
わたしはその頃から歪んだ愛の形を
持っているような気がする。

わたしには純粋な愛なんて必要ない。
嘘で汚れた愛に似た何かがあれば
充分で。

電話口でおばあちゃんに
『いい人と巡り会えますようにって
神さんに願っとくわなぁ。』
と言われた。

おばあちゃん、ごめんよ。
多分無理かなあ。