メモに下記のような文章が遺っていたので
せっかくなのでこちらにも遺しておこうとおもい久々の投稿になります。

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容姿のことで虐められたことがあります。

石を投げられたことも、鉛筆で手の甲を刺されたことも、廊下で突然顔面を殴られたことも、大事にしてたペンポーチを窓の外に捨てられたことも、聞こえるように悪口を言われたことも、授業中机を蹴られてひっくり返されたことも、音楽の授業中ワタシの悪口で替え歌を歌われたことも、そしてそれを歌わされたことも、気持ち悪いかもしれませんがこれもぜんぶ昨日起きた出来事のように思い出します。まあこれが俗に言う『トラウマ』っていうやつですね。

こんな経験をされたことがない人からすれば、『もっと辛い人はいる』『震災で家族を亡くしたひとと比べたらカスみたいな悩み』そんなことを思う人もいるとおもいます。実際にそんなことも幾度となく言われてきました。

でも、そうだとおもいます。イジメはいじめる奴が悪い、それだけではないのです。ワタシも当時きっと誰かの癪に触る存在だったのでしょう。そのことに気づけなかったワタシが悪いと思うことにします。その経験があって今のワタシがあるのでしょう。

中学1年のとき、一番イジメが酷かったとき休み時間は机に突っ伏して誰とも関わらないようにしていました。

当時、そんな状態でも『ひとりでいるのは恥ずかしい』とおもっていましたから、放課後になると隣のクラスの友達グループに入れてもらってました。彼女たちだけは、対等に接してくれたんです。交換ノートしよ!手紙交換しよ!鬼ごっこしよ!そんなふうにワタシがひとりにならないようにしてくれて。

『放課後毎日こっちに来てな。』この言葉がお守りでした。あ、わたしここに居ていいんだ。って。

話が前後しますが、そのグループの中に美術部の部長をしている子がいたんです。その子から『3年生の一年だけでもいいし美術部入らへん?たのしいよ』と、美術部への入部を誘ってくれたんです。その子がきっかけで絵を描くことがますます好きになって、高校も美術科の学校を選び、社会人になったいまでも絵を描くことはひそかに好きでいられてるのだとおもいます。

2年生になる直前、体調を崩したのもあって1週間だけ不登校になったんですけど、その子たちだけは居場所をつくって待っててくれました。手紙書いて放課後家まで届けにきてくれたり。今思えばその子達に救われましたね。彼女たちがいなかったら多分飛び降りてました。命の恩人です。これも後述にでてきますが、希死念慮が芽生えたらその瞬間から心は壊れていきます。くしゃくしゃにした紙が元通りピンと真っ直ぐな状態に戻らないのは、こういうことでしょう。

2年生、その子たちと運良く同じクラスになれました。イジメはこのときもかる〜く続いてましたが、みんな守ってくれるんですよ。味方がいてくれたから辛くなかったです。辛かったけど、半分くらい。

普通いじめられてたら自分もそのいじめの対象になりたくないからとその子から離れませんか?漫画とかでも、助けたいけど自分も虐められたくないから離れちゃうみたいな。

まあそんなことは一切なく、そばにいて他愛もない会話して放課後も一緒に遊んで。でもなんと、学級崩壊して先生がノイローゼになって立て続けに2人も辞めたんです。環境最悪でしたよ。教頭先生が毎日見回りにくるんです。ウチの教室だけ。授業にならないくらい荒れ狂って、まさにあの『ごくせん』みたいな。ギャアギャア騒いで至る所で男子が教室の隅と隅でゴミ投げ合って。先生たち相当辛かったと思います。そのくらいの時期にわたしもいよいよストレスで激太りし、15kgくらいですかね?見た目も変わるくらい太ったんですよ。今まで以上に容姿のことで酷い言葉を言われましたね。

水泳もこの頃まだ続けてましたけど、コーチから毎日デブと言われてしんどかったです。大人から容姿のことで言われてそのとき初めて『死にたいなー』と、希死念慮を抱くようになりました。20歳になる前に死のうと本気で思ってました。自分の部屋から窓の外を眺めて『ここで首吊るか飛び降りたら死ねるかなぁ』とか。当時はまだ子供でしたのでそう思うだけで行動にはもちろんできませんでした。それが大人になるとまあ、『時間』『お金』『自由』が手に入りますからね。いつでも死のうと思えば死ねますよね。希死念慮と闘う日々です。

と、まあこんな学生時代でしたけど、ワタシってほんと『ご縁』に恵まれてるなあとふと思うのです。

いじめられてるのによく言うわと思われそうですが、大人になってからしみじみとそう感じる出来事ばかりなんですよ。

虐められるとその人たちのことを思わず恨んだりしてしまいそうですけど、正直なところ『二度とワタシの目の前に現れることがなければもう、どうでもいい』これに尽きます。

許すこともなければ、謝罪とか何も要らないからワタシの人生に関わらないでくれたらもうそれだけでいいや。っていう気持ちです。

だから電話番号も変えて、実家を出て地元からも遠ざかり『悪い縁』とはぜんぶ切りました。

それは正直大きな覚悟でした。その頃そばにいてくれた人たちの『良いと思っていた縁』とも切ってしまうことになりましたから。でも縁というのは不思議なもので、繋がるべき縁は一度切れても必ずまたどこかで繋がるんですよね。現に、数年ぶりにTwitterにログインしてみたらDMが届いていて。開いてみるともう何年も逢ってない友人からのメッセージでした。

その子は当時となにひとつ変わっていなくて、おすすめの曲のURLを送ってきてくれたり、誕生日と年明けには必ずメッセージをくれるんです。心地よい関係です。これも一期一会です。

27歳になった今でも、恥ずかしながら夜中に色々思い出してしんどくなったりします。涙が止まらなくなったり、芋づる式にネガティブ思考が止まらず寝れなくなったり。まあわかりやすく言うと『病んでる』モードに入るわけです。この歳で。カッコ悪いですよねほんと。

でも、そんなワタシと『普通』に関わってくれる人はいるんです。間違えたことをすれば叱ってくれたりもして。そばで笑ってくれて。慰めてくれて。ワタシの面白くもない話をぜんぶ否定せずに聞いてくれて。悩み事を相談してくれたり。

『普通』ってなに?って感じですが、ワタシが思うに『容姿のことで酷いことを言われなくて、殴られたり酷いことを言われたりしない環境』が、自分にとっての『普通』の定義です。笑っちゃいますよね。

でもこれって、虐められなければ気付けなかったとおもいます。

これまでの一連の話、実はいまだに親には話せていません。今更もう話す必要もないかなとは思いますが、自分の娘がこんな人生を歩んできたということで悲しませてしまいそうで怖いからです。